酒が飲みたい。
言い出したのは島崎だったか、石川だったか。それに竹久が便乗した。本人は気にしていなかったのだろうが、最近よく話題になっている大学傍のちょっと小洒落たレストランバーに行ったことがない、という話を少しだけ
寂しげにした。中原があそこの舗のランプのデザインが良いのだと言いだし、宮沢が見たいと言った。谷崎は件の舗の中に自分を置いてみて、しっくりくつと思い、同行の旨を伝えた。
食べ物に関する関心は揃って薄いのに、酒とデザインにだけは敏感だ。
サークル席から店に移ったのが六時。夜の営業を始めたばかりの舗の中には彼らしかいない。
創作料理といえる洒落た料理もあるのにもかかわらず、酒の他には揃ってカレーやらオムレツといったどこにでもある料理を注文し、飴色のテーブルの上には子供じみた料理ばかりが並んでいる。
最初の一杯を飲んだだけで、結構なほろ酔い状態になっている島崎がふらりと立ち上がった。入り口のところで黒光りしているグランドピアノのそばに立った。丁度、すぐそばを通った店員に声をかける。
「ピアノ、触ってもいいッスか」
「あー。ピアニストさん来るまでならいいッスよ」
噂の店に、噂のメンバーと来て若干ご機嫌な竹久の横で、ぽつんと石川が言った。
「あ。島崎君、ピアノ弾けるんだっけ? 面白そうだから行ってみよう」
失礼ともとれる言葉をさらりといって、手に持ったビールジョッキを抱えたままひょこひょことピアノに寄っていく。竹久もなんとはなしについて行く。
中原と宮沢はさっきから食事もさけもそっちのけでランプの意匠について語り合っている。石川と竹久が傍に寄る前に、島崎が運指の練習とでもいうように、ほんの2,3フレーズを弾いた。きちんと調律されたピアノを眼鏡の奥から嬉しそうに見る。
石川はそんな短いフレーズで喜んで「おぉ」と言ってビールジョッキを手放さずに拍手をした。
竹久も喜んで、「時説柄、時節柄」と言いながら有名な映画音楽をリクエストした。島崎は曲を思い出すように宙を睨むと、鍵の上に骨張った手を置く。澄んだ旋律が紡がれる。
「かっけー」と呟いて石川はビールをがぶりと呑んだ。竹久がぱちぱちと手を叩く。いつの間にか傍に来ていた谷崎に、竹久が聞く。
「谷崎さんも弾かないんスか?」
本当は竹久の方が年上なのになぜだか敬語だ。谷崎は腕組みしたまま、「俺は良い、」と言った。石川がすぐ横で、ぷ、と笑う。
「あ、弾けないんだ」
「黙れ、」
短く言い捨てて、映画曲の佳境に入った島崎にラフマニノフをリクエストした。
*出来ない、と言うのが嫌な谷崎さん。島崎君にピアノを弾いてもらいたかっただけ★